あの頃の巴ヶ淵
2013/10/29 Tue. 21:58 | 思い出のアルバム |
記憶をたどれば
行きつくは、やっぱり・・・
思い出のD51たち

気が付けば10月も間もなく終わっていよいよ晩秋そして初冬の11月ですね。そろそろ木曽の紅葉も北部からピークを迎えそうです。
最近なかなか撮影に出られなくて当ブログも更新が滞っておりますが次のお休みにはいよいよ鳥居峠あたりへ行ってみようと画策中、最新画像はそれまでお待ちください。
・・・というわけで今回は過去も過去!1973年の画像です(汗)

思い出の画像、1枚目は顔がつぶれているし2枚目では光線が欠けなおかつ列車にかろうじて逆から陽が射していますが、そんなことおかまいなしに撮っていますね(笑)。それでも当時は国道からこんなふうに巴ヶ淵を往来する列車の写真が撮れました。
木曽川には寝覚ノ床など幾多の伝説の地があるのですが巴ヶ淵もそのひとつですね。ここは秋には紅葉の名所として有名ですが今年もその季節が到来しました。紅葉不作の年でもここの紅葉は裏切りません。ただ木々の葉があっという間に落ちてしまうこともありますのでピークを読むことがけっこう難しかったりします。
両画像とも紅葉シーズンどころか冬枯れた2月頃の撮影だったと思います。当時中学生だった私にとって木曽福島以北まではそうそう行ける場所ではありませんでした。モノクロフィルムがメインの時代でしたので鮮やかな紅葉も写真にすればインパクトに欠けてしまいます。もちろんモノクロフィルムでもフィルターワークで紅葉を表現できることは知っていたのですが・・・。
季節に対して今ほど敏感でなかった子供のころでしたから致し方ないのですがここでの紅葉とD51をカラーフィルムで撮影したかったですね。
ちなみに昨年秋の撮影ですが巴ヶ淵を行く3084レの画像も添えておきましょう。
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今年も間もなく巴ヶ淵は紅葉の最盛期を迎えます!
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コメント
ごはちまるさん おばんです。
木曽谷を行くD51・・・・・・。
またまた、貴重なお写真を。
1枚目のお写真の煙の感じが良いです。
顔が潰れてるとはおっしゃいますが、逆光気味じゃないと、煙の感じはこうはいきませんからねぇ。
1973年というと、国鉄蒸機全廃の2年前ですか。
その頃はまだSLが走っていたのですね。
巴ヶ淵の紅葉も良いですね~。
行きたくなってきてしまいます。
tobinさん こんばんは。
コメントをありがとうございます。
1973年夏に西線は電化されるのですが、実際は5月頃からEF64もどんどん木曽に入りこんでいましたからね。そうそうその頃、長野に新規配備されたEF64は区札が「長」でした。(電化完成の夏には篠ノ井機関区が発足して「篠」に変更されました。)
めったなことではカラーなど使わせてもらえなかった時代です。フィルムも国産はいまいち色が悪くて・・・この画像はコダックで撮影しています。今のような円高が進んだ時代じゃなかったですから舶来品は高かった記憶です。黄色い箱を開けるとアルミ製の小さなケースにフィルムが入っていて、もうそれだけでこいつはただ者じゃない!って雰囲気でした。
ごはちまるさん
こんばんは・・
過去の西線のD51ですね。
写真1枚目は、鉄橋横からの撮影は迫力ありますなぁ~
巴淵は、この当時は国道から見えたのですか!
こちらは、その当時は、上りは木曽平沢の鉄橋と、下りは薮原第二トンネルでの撮影が殆どでした。
流石に、高校生では駅近くが便利・・足がなく、何時も駅から歩いての移動でした。
この時期、木曽平沢の鉄橋は川原に降りると、綺麗に煙がなびくのが思い出されます。
今日、巴淵にて3084レを撮りましたが、盛りは過ぎて、しきりに落ち葉が待っていました。
写真3枚目の、昨年の3084レ・・先頭には美味しいカマが入り、バックの紅葉も素晴らしいですね。
おなさん こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
平沢の鉄橋は私も行きましたよ。当時は国道付近からサイド狙いが可能でしたが今じゃ住宅やらいろいろあってそんなアングルは望めませんね。巴ヶ淵も同様当時はあんなに鬱そうと樹木に覆われていなくて国道からきれいに見通すことが出来ました。
あのころの記憶から、確か撮れるはず!・・と思って今行ってみると、ほとんどの場合撮影できない状態ですね。住宅があったり樹木の生長に阻まれたり・・・。昔から変わらない木曽といえど、やっぱり40年の年月は長いものですね。
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