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RAILWAY浪漫 ロクヨンcafe

鉄道写真がメインです。過去から最近撮影したものまで、気ままに 思いついたままに綴ってまいります。

思い出の快速「木曽路」 

そういえば鉄道150年!

木曽路
9823レ快速「木曽路」  D51101〔中〕   南木曽-十二兼 73年4月29日

明日は大晦日、今年も残りあとわずかとなりました。今年は鉄道開業150年の節目だったんですね。イベントなど少しは盛り上がりましたでしょうか?

私たちの世代で思い出すのは、やはり1972年の鉄道100年です。当時は国鉄でしたが大きなキャンペーンを展開して国鉄全面協力のもと制作されたTVドラマ「大いなる旅路」が放映されたりしました。呼応するように各鉄道管理局でも様々なイベントが行われ折しも空前のSLブームでしたからSL牽引のイベント列車が走ったり復活したりした記憶です。名古屋局管内も例外ではなく快速「木曽路」がそれにあたります。

元々快速「木曽路」は行楽シーズンの休日にキハ55によって運転されていた列車でしたが、それが1972年鉄道100年を記念して客車に置き換え動態保存が決定されていたD51200牽引の列車に変更されました。この列車はその後も臨時列車として走り続けD51200なきあと他のD51がその任にあたり今、直江津にいるD51827も牽引していました。客車は旧客から12系に変更され1973年には前年新津から転属してきたD51101がほぼ専用機として使用されたのです。
画像は再掲ですが鉄道100年の翌年1973年のゴールデンウィークに撮影したものです。100年の余韻を楽しむかのようにヘッドマークには「鉄道101年」と記されています。もとは100年だったのを101年にして使いまわしているのですね。たまたまD51101がいたのでそれを抜擢しちゃった・・・そんなイメージでしょうか?でもこの101号機、青いナンバープレートに塗り替えられていますから中津川機関区のこだわりが強く感じられます。ちなみにこの101号機この後さらにお化粧が進んでちょっとやりすぎな状態になってしまったのは残念でした。

ひでー写真
中津川にて  D512   72年頃?

ここでさてもう一つの話題。ひどい写真ですが(汗)・・・ある時中津川機関区の片隅にD51のナメクジがいました。ナンバープレートが外されたD512です。このカマは稲沢にいたカマなんですが、はて?なんで中津川に?当時中津川と木曽福島のD51は集煙装置を装着していましたからそれが取り付けできないナメクジが転属してくることは考えらず、なんでここにいるのか不思議でした。しばらくして判ったことはどうやら電化されていた信越本線にてこれまた鉄道100年を機に復活運転された「ファミリーD51」号牽引のため長野に貸し出されていたものです。私の記憶もあいまいなんですが・・・このあと長野に移動して復活した記憶なんですが、とあるサイトでD512の履歴をみると「ファミリーD51」に使用後中津川に留置とあります。う~ん・・そうだったんかな?

等々鉄道100年の1972年をいろいろ思い出させてくれた鉄道150年の2022年。あれからもう50年も経ったなんて、そりゃ私も歳くうわけだ(笑)。あの頃は良かったなぁ!などと意味のないことは言わないようにします。その2022年も間もなく終わろうとしています。鉄道の在り方も今後さらに変わってくるのでしょうが鉄道輸送にいい未来が訪れることを願っています。


みなさま今年も拙い当ブログにお立ち寄りいただきましてありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください!

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旧橋梁の思い出 


あの時の第二木曽川橋梁にて

もっといっぱい撮りたかった
列番不明・・・673レだったかな?D51769〔木〕 田立(旧)-南木曽 旧線  72年ころ

窮屈な構図に逆光での撮影、電柱真ん中に貫くしでお恥ずかしい画像ですが旧第二木曽川橋梁を往くD51牽引貨物列車です。
現在グランドになっているところはかつての旧線築堤がありました。その築堤の線路沿い犬走りあたりから撮影した記憶。今ならアウトな位置ですね(汗)。

そしてもう一枚こちらは再掲ですが・・・。
懐かしい!
869レ D51238〔中〕後補機D51351〔木〕  田立(旧)-南木曽 旧線  72年11月

ちょっとピンボケですみません。築堤がどんな感じだったかよくわかると思います。
現在築堤のほとんどは跡形もなく撤去されてグランドになっています。築堤の下をトンネル状にくり貫いて道路が交差していますがこのトンネルの石積みの一部が今も残っています。この写真は国道から撮りましたが国道に小さな橋を架けその下を線路が通る立体交差となっています。現在も国道19号にはこの小さな橋は存在しています。お車で通過の際はよく観察してみてください。

さてついでに思い出のカマのこと・・・・。若い人にはピンとこない内容でしょうがお許しを!
72年ころ羽越本線や奥羽本線など東北地方の幹線が電化されて余剰になったD51たちの多くが中津川や木曾福島にやってきました。D51238は会津若松からD51351は横手からの転属。それまで西線はもちろん中部のカマにはほとんど見られなかったシールドビームの補助灯を備えたスタイルが新鮮だったです。反面、青いナンバープレートの中津川スタンダード的なカマが少なくなってしまったことに蒸機時代末期を感じざるを得ませんでした。

両機とも保存されていて238号機は薮原に351号機は南木曽にいます。木曽福島の351号機が中津川に近い南木曽に中津川の238号機が木曽福島に近い薮原に保存されているのが面白いですね。私は取り違えて記憶してしまって時々どっちだっけ?とわからなくなってしまいます。


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あの時の巴ヶ淵 


もう50年も前になるのかぁ・・・

青春の思い出いっぱい
日の短い冬の午後はあっという間に陽は傾きその光線はどこか優し気です。巴ヶ淵にておよそ50年前に撮影した画像です。
このころは川縁には木も茂っていなくて国道の橋のたもとからこんな風に撮影できました。たしか73年の2月か3月頃だったかな?列車は4652レだった記憶(あいまい)。
蒸気機関車は迫力!という周りの言葉や自身の思い込みなどから勾配を上る姿をかぶりつきに撮影するのが当たり前だった当時。15歳の子供でしたからそんなもんなんですが、この頃から少し風景に馴染むような撮り方にも目覚めてきた気がします。ここは紅葉がきれいそうだから秋に再訪したくなったのですがこの年の夏に西線は電化完成予定でしたので叶わずひどく残念で、なんでもっと早く季節を意識した写真を撮ろうとしなかったのかと後悔しました。一枚の写真から当時のこと自分が思ったこと感じたことなどなどいっぱいよみがえってきます。

さて巴ヶ淵とは木曽川の深淵を巴を描くように水が流れ、その淵から竜神の化身が巴御前となって現れた・・・との伝説の地。そして木曽義仲に仕えるのですが奇しくも今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて巴御前の生涯を少しだけ知ることができました。いろいろ謎の多い巴御前ではありますが、なんといっても木曽の女傑とのイメージが強すぎて義仲なきあと関東に逃れていたことや長寿だったことなど初めて知りました(恥)。

巴ヶ淵・・・木曽の伝説とわが青春の日々D51とそしてロクヨン2代そんなこんなとりとめもなく思いは様々ですが久しぶりに昔の写真を引っ張り出してみましたとサ・・・(汗)。


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思い出の鉄橋 


今も昔も木曽らしい…と思う

懐かしさと・・・
旧第一奈良井川橋梁 872レ D51重連  73年

先の投稿した画像、場所は山深い雰囲気がお気に入りのポイントでありますが、かつての旧第一奈良井川橋梁も木曽らしい谷にアメリカ製の上路トラスが魅力的な大好きな場所でありました。当時中央本線には同様の鉄橋がほかにも存在していて西線の定番撮影ポイント伊奈川橋梁(旧)や中津川-落合川間の旧小野川橋梁(現在の上り線)や唯一現存している東線旧立場川橋梁など全く同じタイプの鉄橋でした。
今こうして見るとD51が2両も乗って大丈夫?なんて思えるくらい華奢な橋に見えますがこの時点で50年以上も重量列車を支え続けていたのですから立派なものです。画像をよく見ると橋のたもとには電化ポールが見られますが実は架線も張られています。そう、この旧線は電化直後も使用されEF64もこの鉄橋を渡っているんです。いやむしろEF64や381系などがこの鉄橋を渡っている写真があればむしろこちらのほうがとても貴重な記録と言えそうですね。残念ながら私はD51以外撮影してはおりません(溜)。

さて画像は73年の3月ころではなかったか?と思います。機関車はD51125とD51549だったと思うのですが・・・? 
記憶の糸を手繰れば・・・872レは贄川に停車、今度は第二奈良井川橋梁で撮ろうと撮影後急いで追いかけました。駅までたどり着いて停車中の機関車カマ番を確認したのが先ほどのカマだったという記憶です。
まあしかし追っかけとは言いましても中学生でしたから当然徒歩での追っかけであります(汗)。贄川駅を速足で過ぎ列車を追い越したものの第二奈良井川橋梁はもっと先です。結局間に合わず2発目は叶うことなく寒い時期だったのに汗だくでハアハア、ゼイゼイいいながら悔しく見る鉄と相成りましたとサ・・・(笑)遠い昔のことですがこの時のたなびく無情なる煙とその匂いは昨日のことのように思いだされます。

ちなみに・・・
この鉄橋は現在の橋梁より下流側に存在しました。今も両岸に橋台跡が草に埋もれながらも残っていると思いますので廃線跡探索など興味ある方は探してみてください。


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続 高二のゴハチ 


風の思い出~

再び岡部-本庄間にて

いいね!ゴハチ
高崎線 岡部-本庄 2325レ EF5859〔高二〕 77年12月11日

今宵も年寄りの思い出にお付き合いを・・
前回に続いてこちらは下り客車普通列車2325レです。牽引のEF5859は当然の上越スタイルですが前の136号機と比べると汽笛カバーが少し小さいですね。こういった同じスタイルでも装備のほんの少しの違いを見つけるだけでも楽しかったなと当時を思い出します。

確か前の画像2322レを撮って振り返るとこのアングルでしたという場所。グーグルマップの航空写真で見るとたぶん・・・たぶんですよ・・この短い鉄橋は現在架け替えられてコンクリートの橋になっていますね。おそらくその際に線路も移動しているようでこの写真を撮影したカメラポジションが現在線の位置ではないか?と思います。ちなみにいわゆる通称「オカポン」定番ポイントとはこの川べりなんでしょうか?なんてったってこのころは他の鉄道ファンに遭遇することも稀な「オカポン」でしたから。一日中この付近で181系「とき」やEF15牽引貨物など撮り歩きましたが撮影者は私一人だったです。
画像はやはりいまひとつ列車を引き寄せられないで撮影してますね(笑)。のんびり長閑な広い田園を思うがままに撮影しながら歩いた一日・・・季節は12月でしたが暖かな陽光に緩やかな風の音が遠い記憶の片隅にあります。


さて・・・昨日は唯一のロクヨン0番台37号機の高崎への単機回送があったようでどうやらそれがラストランだったという報。
ついにEF64(0番台)の形式消滅ですね。長い間お疲れさまでした。個人的に思うところいっぱいありますがまた別の機会に・・・(涙)



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