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RAILWAY浪漫 ロクヨンcafe

鉄道写真がメインです。過去から最近撮影したものまで、気ままに 思いついたままに綴ってまいります。

我が家にニコンが来た日-2 

前回の続きを書きます。

再びニコンF2のこと・・・

ニコンF2はFとF3という歴史に残る偉大なる両名機の間にあっていまひとつぼやけた存在ですね。Fの改良型のような印象のカメラでもあります。でも・・このカメラはたぶん史上最強の機械式カメラだと思っています。まず横走りシャッターでは最速!ストロボは80分の1秒で同調(F3は60分に1秒)するし125分の1秒~2000分の1秒までは無段階で中間シャッターが切れる!(機械式シャッターなのに・・ですよ!)さらにセルフタイマーを利用した10秒までのスローシャッターも切れる。速写性が問われる巻き上げ角度(手巻きの時代ですから・・)は120°ちなみにF3は140°・・・まあこの20°の差がどれほどかは??ですが。

私はとにかくこのカメラが好きです。線がシャープなFより角に丸みをつけた分マイルドなデザインとなりましたが、精密機械の塊のようなカメラらしさを漂わせる最後のモデルだと思っています。最近ではクラシックな貫禄も醸し出してきていつも連れて歩きたくなる存在になってきました。大好きが高じたわけじゃないんですがファインダーは3種も所有しています(ばかでしょ!)。しかしなんといってもお気に入りのアクセサリーはソフトシャッターレリーズ。シャッターボタンにねじ込むとシャッターの指かかり位置が高くなる代物でなにがソフトなんだかよくわからないのですが指の位置が気持ちいいんです。

当ブログで思い出のアルバムシリーズの多くの画像はF2で撮影しました。青春の思い出はこのカメラとともにあり・・・ですね。やがて鉄から身を引きF2を使う頻度も少なくなりましたが、それでもさまざまな思い出はこのカメラが記録し続けたんです。結婚して新婚旅行にはF2を連れて行ったし、長男が誕生したとき初めて息子を撮影したカメラもF2でした。一家の記念になるようなイベントにはなぜかF2で撮影しています。

ニコンF2 シンプルなアイレベルファインダーもいいね!
カメラ:ニコンF2
レンズ:ニッコール-S・Cオート50mm f1.4(Ai改)・・・基本的に開放では使わないようにしていた。大口径レンズの使い方(活かし方)を知らなかった。もったいない・・・。
レンズ:ニッコール-Hオート28mm f3.5・・・父が使いたがっていた画角のレンズ
レンズ:ニッコール-P・Cオート105mm f2.5(Ai改)・・・後に小遣いをためて買ったレンズ。お気に入りのレンズで最近までデジタルでもよく使った。ただデジタルでは色が濁ったように写ってしまう。
レンズ:ニッコール-Qオート200mm f4・・・このレンズはいいレンズだった。たまにネット上で4000円くらいで売られているのを見ると、お前はそんな価値のレンズか!と泣けてしまう。白黒なら今でも十分通用するレンズだと思う。
ファインダー:アイレベルファインダーDE-1、フォトミックファインダーDP-1、フォトミックファインダーDP-11
シャッターについている煙突のようなものがお気に入りのアクセサリー ソフトシャッターレリーズAR-1。




あの日・・・
ニコンが我が家にやってきた日、私はうれしくてうれしくて・・自転車は買ってもらえなかったけどカメラはまさかのニコンフラッグシップ(生意気ですねぇ~!)にしてもらえたわけだから感謝感謝である。
みんなで使うと言っていた父もF2を使うことは数回あったくらい、撮りたいテーマがなかなか見つからなかったのだろうか。それよりもしかしたらF2を持ち出す際、私に遠慮していたのかもしれないね。むしろ母のほうが友人たちとの旅行などでF2を持っていくことのほうが多かったくらい。ちなみに父の趣味はというとその後は写真ではなく社交ダンスという生涯の趣味を見出して、自分の教室まで持つようになった。

かくして我が家のF2には鉄の思い出だけではなく私の人生、私の家族のさまざまな思い出が沁み込んだカメラとなったのである。




F2と歩んだ道のりは忘れらないことばかり

思いが滲むような画像はないか探してみました・・・

夜の名古屋駅にて
80年ころに名古屋で撮影したEF58です。漆黒の闇にSGの蒸気が溶けていきます。どうってことない夜景画像ですが、私にはいろいろ語りかけてくる画像・・じいっと見ていると・・・滲む信号灯に、機関車の側面に反射するネオンの灯に淡い青春のノスタルジーがあふれ出るような・・そんな写真です。

最近はバルブ撮影をまったくしていません。機会があればやりたいのですが・・・。デジタルで夜景を写すときれいに写りすぎてどこか情感が欠けてしまったように感じます。フォトショップなど駆使してフィルム調に仕上げることも可能なんでしょうが、私にはそんな技術がありません。こと夜景に関してだけはフィルムのほうが雄弁である!・・そんな気がしています。

だらだらとF2の思い入れを書き連ねてまいりましたが、今は事情あってキャノンユーザーとなってしまいました。長いことニコンを愛用してきたものとしてここにきてニコンへの思慕が高まりつつあります(たかがカメラなのに・・・笑)。時代はデジタルへと変革しましたが、いつかまたニコンを使いたいなと思っています。



訂正と補足
前回の記事でD51101について一部記述を訂正しました。D51101は新津時代からヘッドライトは1灯だったようです。考えてみたら新津機関区は新潟鉄道管理局内ですので2灯が多かった東北のD51たちとはちがいますね。ちなみに煙室扉のハンドルが十文字である点や旋回ワイパーなどの特長もそれまでの中津川や木曽福島のD51たちにない形態だったように思います。



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我が家にニコンが来た日 

今月に入ってから撮影に行っていません。したがいましてネタ切れです。
・・・で再びカメラのお話しでもしましょうか・・・。



大好きなカメラ・・・ニコンF2のこと

大好きなニコン!

私には4つ離れた姉がいる。姉はいつも要領がよくて、両親にほしいものをねだるのにも長けていた。まあ、娘に甘いという世間一般的にみられる傾向が我が家にあったことも事実だったし、成績優秀な姉にたいして私はそのへんだらしなくて、いつも両親の期待を裏切ってきたから仕方なかった。

小学生のころ新しい5段変速の自転車がほしくて母に言うとお父さんに言いなさい、という。父に言うと話の途中でさえぎるようにあっさり却下.そんな私をみかねた姉が「お前ねえ、ほしいものがあったらまずぜったい買ってもらえそうにないくらい高価なものをねだる。たぶんダメっていうことになるから、じゃあこれは?ともっと安い本命をいうと、しょうがないなあ・・・となるんだよ!」とその極意?を教えてくれた。目標を宣言してそれに対してこれだけ頑張ったというのを見せるのも効果的といったようなことも言っていた。成績優秀な姉だから言えた戦略だった。

しかしそんな私にもがんばらなきゃならない試練が訪れた。そう、高校受験。ある日、合格の暁にはなんとかカメラを買ってもらおうと懇願してみた。父にはウチにもカメラくらいあってもいいじゃないかと説き買うなら一眼レフだ!と言いまくっていた。その都度父は合格してから言え!というのみ。ようしそれなら・・とそれなりにがんばってみた。幸い引っかかるように進学が決まり、いざ父に切り出すと「何がほしい?」ときた。私はこのとき姉の「極意」が脳裏をかすめ「ニコンF2!」とすかさず答えた。こんな高価なカメラは当然オトリである。私としてはニコマートFTnかキャノンFTb、この線は譲れなかったから姉の戦略からしてニコンのフラッグシップを迷わず宣言した。

そして・・・
忘れもしない多治見のとあるカメラ店へ父同伴で行った時のこと。「ニコンF2ありますか?」ときくと店主は顔色すら変えずにこちらにありますと指さした。ショーケースの上段にはアクリルケースに入ったF2がデーンといた。なんの予備知識もない父は身を乗り出しプライスカードを一瞥、「買えるか!こんなん!・・・」というだろうと様子をうかがうと・・「こんな高いカメラ・・・・」とか何かぶつぶつつぶやいている。そろそろ本命を切り出すころかなと思いきや父は意外なことを口走った。店主に「いくらになる?・・・」・・・えっ!値切ってんの!?えっ!買う気!?今風なら「親父!マジかよ!・・」である。

どうやら父は自分も写真を趣味にしたかったようだ。しかも話はそれにそれてミノルタオートコードって今あるか?とか私にはゼンザブロニカのほうがいいぞ!とか言ってきてわけわかんなくなっちゃった。店主も店主であのカメラはよかったですねぇ!とか言っちゃって二人で大いに盛り上がっている。なんとかかんとか紆余曲折の末どうにかニコン路線に修正できたがこんどはさらに広角28mmまで買おうとしているのを見てもう唖然とした。
値切る父に対して店主はあと1000円出してくださいという。それを聞いた私は思わず自分の財布から1000円札を出した。すると店主はあきらめ顔で、「息子さんからもらうわけにはいかない。お客さんには負けました・・」と言って父の言い値で売ってくれた。

私の父は当時、従業員を何人か雇って商いをしていた。それなりに羽振りが良かったことも事実だった。うん、たしかにいい時代だったから・・・。それにしても子供心にこんなん買っちゃってええの?と逆に心配してしまった。あとで父はお前のものじゃないぞ!みんなで使うんだからなと釘を刺した。




嬉しいかなニコンでD51を撮影することもできました。その画像を・・・


快速「木曽路」

懐かしの快速「木曽路」だあ~!
快速「木曽路」はもともとはキハ55で行楽シーズンになると運転されていた臨時列車でした。今でいう「さわやかウォーキング」みたいな存在だったでしょうか。昭和47年ころから鉄道100年のイベントで各地に蒸気機関車牽引の列車が設定されるようになりました。西線ではこの列車を客車化して名古屋-木曽福島間のうち非電化区間をD51が牽引したのです。当初は旧型客車で牽引機はD51200が充てられていましたが、D51200引退後は特に専用機は存在してなかったはずです。・・がしかし、いつごろからかD51101がほぼ「木曽路」の牽引機となっていました。「木曽路」ヘッドマークの下には「鉄道101年」の文字が見えますが(判るかな?)どうも単純に数字のごろ合わせからの抜擢だったようです?。

D51101は青いナンバープレートが誇らしく中津川区のカマであることがすぐわかります。実は101号機は羽越線電化で余剰になったD51で新津から転属してきた機関車です。末期の西線で活躍したD51の多くは新津や会津若松など東北、北日本からやってきたカマが多かったです。ヘッドライトの横にシールドビームの副灯をつけたカマがいっぱいいました。101号機もそのうちの一両(このカマは1灯)でしたが「木曽路」牽引機らしくナンバープレートを青くしてすっかり中津川スタイルに化粧直しされたあたりは中津川区の方たちのこだわりが感じられます。(ただこの101号機この後どんどん厚化粧されちょっとやりすぎ状態になってしまったのは残念でした。)

快速「木曽路」・・・実はD51200のころから何度も撮影しているのに満足な写真が撮れなくて毎度がっかりしていました。カメラをニコンに替えて心機一転やっとまともに撮れた一枚です。

                                          
今回はテキストが長くてすみません。いろいろ書きたいこといっぱいあって(笑)  ・・ニコンF2のこと次回さらにつづきを・・・。







祖父のかたみ・・・ 



初めての一眼レフ

祖父のカメラ

思い出のペンタックス

思い出のペンタックスSP
今日は公休日、本当は撮影にでかけるつもりでいたが、いまいちはっきりしない天気でやる気出ず!雨の紅葉もしっとりといいものだ・・・などとわかっているが、気力が萎えていてはいい写真(自分にとって・・ね!)は撮れないもんね。

ということで、今日はちょっと話題をかえてカメラのお話し。

蒸気機関車を撮るなら一眼レフ・・・私は祖父のカメラを借りて撮影にでかけた。
中学生のくせにこんなカメラが身近にあったことは幸運だった。カメラが高級精密機械だった時代、中学生とはいえ子供だった私に祖父は自分の大切なカメラをよくぞ貸してくれたものだった。
12年ほど前、祖父が他界してから思い出の品として今は私が預かっているが、それまでこのカメラは現役だったそうである。いつも祖父の傍らにいて祖父の人生の一瞬一瞬を刻むようにとらえてきたカメラだった。

カメラ:アサヒペンタックスSP・・・初めての一眼レフはこのカメラ!そういう人は多いと思う。Sシリーズはベストセラーだったから。
レンズ:スーパータクマー50mm f1.4・・・白黒時代のシングルコートレンズ
レンズ:タクマー200mm f3.5・・・絞り環が2つあるプリセットレンズ。自動絞り(もはや死語)じゃなかった時代のレンズ。
フィルムはネオパンSSかネオパンSSSをつめて撮影していた。



カメラ底部には無数の擦り傷が、私がつけた傷である。それをじっと見つめていると・・・機関車の吐息や煤のにおいまでよみがえってくる。私にとっても青春の思い出が染みついたカメラであり今や大切な宝物である。

フィルムを入れてあの時と同じ場所でもう一度、今を撮影してみる・・・それもいいかもしれない。

D51重連様御一行のお通りだぃ!
当時の画像を添えて・・・              667レ D51348〔中〕+D51698〔中〕


さてさて、秋も深まってまいりましたので金曜日には木曽へ出かけるつもりです。