伯備線遠征 その2
2012/07/27 Fri. 17:15 | 伯備線EF64 |
EF64再び・・・
昨日に続いて伯備遠征画像を! 懐かしの画像を添えて

EF64・・・覚え書き
奥羽本線福島-米沢間に存在する最大33パーミル板谷峠を越えるためEF16代替機として1964年1号機2号機が落成した。発電ブレーキを備えながら高速性能も満たすギア比が特長。このギア比は後のEF65にも引き継がれ彼らはブルトレの先頭に立つ一時代を築いたわけだからEF64も平坦区間では速かった。全79両製造。
国鉄の電化区間が伸長するなか急勾配線区用としての活躍が期待され開発されたEF64だが中央本線もまずその視野に入れられていた。EF60などF軸新性能機関車が模索されていた中央本線だったが1966年には甲府への配置が始まっている。
1968年10月、ヨンサントオ(昭和43年10月)の白紙ダイヤ改正のとき西線瑞浪-中津川間が電化された。いっぽう奥羽本線は直流から交流へ切り替わりその役目をEF71に託して福島グループ(1~12号機)すべてが稲沢へと転属した・・・
・・・とまあ誕生から西線投入までの経緯を簡単にいえば・・・こんなところでしょうか。
その後、西線中津川以北、篠ノ井線電化完成などで増備が進み私の青春時代はロクヨンといえば中央本線と篠ノ井線にしかいないご当地機関車だったわけです。ところが80年代に入って上越線や伯備線への使用を目的に一部が転属していきまして、とくに1号機が岡山へ行ってしまった時はちょっとショックだったです。
時代は国鉄からJRへとかわり一部は旅客会社にも在籍していましたが東海、西ではとっくの昔に廃車、東に37、38、39号機がいるはずですが最近では37号機の動向しか知りません。元気なのはJR貨物のEF64ですが残す稼働機もわずか、いよいよ・・・・かな?
この際ですから昔の画像を探してみましょうか。
・・こんなのが出てきました。昨日の画像に登場した72号機です。 (見比べてみてね。)
当時のネガを見てみるとD51を撮りに行っているのに中津川ではけっこうEF64も撮っているんですね。なにかしらこのときからロクヨンを追いかける運命が始まっていたのかも・・なんていうとちょっと大げさですかね(笑)。

73年中津川でのひとコマ。西線完全電化をひかえ増備された新製直後の72号機です。せっかくの新車の輝きなのに側面が汚れています。これは当時盛んに行われていた順法闘争の張り紙をはがした跡です。ちなみに背後にいるのはD51893〔中〕。
そしてもう一枚・・・

こちらは3色更新時代の72号機です。この塗り分けも微妙で上部だけ色褪せしただけみたいに見えますね。しかし今では懐かしい姿と言えるでしょう。
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