181系「しなの」のこと・・・そして友人I君のこと
2012/09/09 Sun. 13:37 | 思い出のアルバム |
最近は休みと天気のタイミングが合わなかったり、お目当ての列車が来るころ突然のスコールだったり、「この写真は晴れてなんぼ!」のときにゲリラ雲に遭遇したり・・・ついてないです。
そんなわけで最新画像もいまいちなので気分転換にでも・・ということで本日は過去画像を・・・・。
特急「しなの」のこと
383系車両もデビューして15年以上になるんですね。ロクヨンの合間にちょくちょく撮影していますが流麗なデザインとステンレス車両の輝きが魅力的です。時には、あっ、この光線「しなの」で撮りたい・・なんて思うこともよくあることです。
その「ワイドビューしなの」383系は3代目ですが2代目が381系元祖振り子電車そして初代特急「しなの」は181系ディーゼルカーでした。

12D 田立(旧)-坂下 72年ころ
昭和43年10月1日営業運転を始めた西線初の特急「しなの」、使用された181系はこのときデビューしました。デビュー当時は名古屋-長野間一往復で所要4時間くらいだったと記憶しています。その後三往復に増発され西線、篠ノ井線電化後も181系は残り、さらに増発されて381系との併用がしばらく続きました。
私は正直言ってしまうと歴代「しなの」のなかで初代181系「しなの」が一番好きです。その時代を知っている者にしかわからないかもしれませんが特急としての風格があって食堂車を含め10両前後の編成が地を震わせて駆けるさまは重厚でカッコ良く憧れをもってみつめていました。
「しなの」でデビューした181系、西線を去ってからというものもう一度走りを見たいという気持ちもあったのですが結局再会することはありませんでした。それゆえに私の中では181系=「しなの」の図式が消えずに残っているのかもしれません。

11D 田立(旧)-南木曽(旧線) 72年ころ
上2枚の画像はともに旧田立付近です。一枚目の場所はその後田立駅が移動していますので今では南木曽-田立間に位置しています。ハエタタキが懐かしいですがこのあたりは複線化されて線路沿いは大きく変わってしまいました。
181系の魅力のひとつが大きくラウンドした前面窓ガラス。この曲げガラスは美しかったですね。これは82系も同様でしたしロクヨンも曲げガラスを使っています。ロクヨンではそれほど感じなかったのはガラス面積のちがいでしょうか?181系のほうが大きいように思います。
画像2枚目は唯一のカラー写真。場所は旧田立付近ダム湖沿いの旧線です。現在はこの線路跡トンネルもろとも拡幅して国道になっています。
181系のもう一つの魅力は屋根上のラジエーターです。試作車91系からの流れで181系独特のこのスタイルは82系のようなスマートさと対局するデザインといえます。ちょっとマッチョなイメージですかね(笑)。
ここに181系「しなの」の画像で記録としてもいい写真がありますのでご紹介いたします。

ネガを見ていてこの写真を発見した時は感動しました。「へ~、オレこんな写真撮ってたんだぁ~!」・・でも私は撮影した記憶がなくて・・・。後々ネガをもう一度よくチェックしてみたら実はこれ当時いつも行動を共にしていた友人I君のネガであることがわかりました。I君のネガをすべて私が預かっているのですがこの写真の部分だけ私のネガブックに紛れていて私が勘違いしていたのです。
ですが181系の特長がよく解るし食堂車もしっかり写っています。これはぜひ公開したいとI君になんの断りもなしに載せちゃいました。
屋根上のラジエーターの特長がよくわかりますが実はこの設計が後々「しなの」を苦しめたようです。181系は優秀な気動車でしたが名古屋-長野間4時間弱というダイヤがきつかったことと西線、篠ノ井線に点在する単線トンネルの断面が小さくトンネル内での放熱がうまくできなくて故障が多かったといいます。実際にラジエーターに囲まれてクーラーがあるため冷房が効かなくなって途中駅から氷柱をを持ち込んでしのいだ(それでも暑かったでしょうね。)なんてことがありましたし、名古屋を出て途中から不調になり中津川までなんとかたどりついて中津川からD51に牽引されて走ったこともあります(当時は簡単に運転打ち切りにしなかったんですね)。このときは沿線にいたであろうD51を撮りに来ていたファンはびっくりだったでしょうね。(どなたか撮影された方はいらっしゃいませんか?)
さて友人I君のことを少し・・
彼とは幼なじみと言っていいくらい古い友人です。当ブログに以前記事にしましたが中学生のとき羽越線へいっしょに行った友人とはI君のことです。また初めて鉄道写真を撮影し中津川機関区へ連れて行ってもらったのも彼のお父様であり当然彼も一緒に始めた趣味です。その後九州へ撮影に行ったり非鉄でしたが東北へ二人で旅したりと青春時代を共に謳歌しました。
優秀だった彼は早稲田大学に進学その後一流企業に就職して現在に至っています。それゆえ故郷から離れて暮らしていますが仕事柄転勤が多くて最近は単身熊本にいるようです。最後に会ったのが15年くらい前でしょうか?今では一年に一度、年賀状で近況を知るのみとなっております。
私が彼のネガを預かっている理由は二人で撮影した木曽路のD51たちの写真を一冊のアルバムにまとめようという計画があったからです。もう30年以上前の話ですがお互い就職やら結婚やら・・なにより私の実行力のなさからこの計画は進まず今日に至っています。I君には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、せめてこのブログを見ていてくれたら幸いです。
D51とともに思い出尽きない181系「しなの」。いつかI君と思い出話に花を咲かせたいものです。その時は約束のアルバムを手にして・・・。
ご訪問ありがとうございます!

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特急「しなの」のこと
383系車両もデビューして15年以上になるんですね。ロクヨンの合間にちょくちょく撮影していますが流麗なデザインとステンレス車両の輝きが魅力的です。時には、あっ、この光線「しなの」で撮りたい・・なんて思うこともよくあることです。
その「ワイドビューしなの」383系は3代目ですが2代目が381系元祖振り子電車そして初代特急「しなの」は181系ディーゼルカーでした。

12D 田立(旧)-坂下 72年ころ
昭和43年10月1日営業運転を始めた西線初の特急「しなの」、使用された181系はこのときデビューしました。デビュー当時は名古屋-長野間一往復で所要4時間くらいだったと記憶しています。その後三往復に増発され西線、篠ノ井線電化後も181系は残り、さらに増発されて381系との併用がしばらく続きました。
私は正直言ってしまうと歴代「しなの」のなかで初代181系「しなの」が一番好きです。その時代を知っている者にしかわからないかもしれませんが特急としての風格があって食堂車を含め10両前後の編成が地を震わせて駆けるさまは重厚でカッコ良く憧れをもってみつめていました。
「しなの」でデビューした181系、西線を去ってからというものもう一度走りを見たいという気持ちもあったのですが結局再会することはありませんでした。それゆえに私の中では181系=「しなの」の図式が消えずに残っているのかもしれません。

11D 田立(旧)-南木曽(旧線) 72年ころ
上2枚の画像はともに旧田立付近です。一枚目の場所はその後田立駅が移動していますので今では南木曽-田立間に位置しています。ハエタタキが懐かしいですがこのあたりは複線化されて線路沿いは大きく変わってしまいました。
181系の魅力のひとつが大きくラウンドした前面窓ガラス。この曲げガラスは美しかったですね。これは82系も同様でしたしロクヨンも曲げガラスを使っています。ロクヨンではそれほど感じなかったのはガラス面積のちがいでしょうか?181系のほうが大きいように思います。
画像2枚目は唯一のカラー写真。場所は旧田立付近ダム湖沿いの旧線です。現在はこの線路跡トンネルもろとも拡幅して国道になっています。
181系のもう一つの魅力は屋根上のラジエーターです。試作車91系からの流れで181系独特のこのスタイルは82系のようなスマートさと対局するデザインといえます。ちょっとマッチョなイメージですかね(笑)。
ここに181系「しなの」の画像で記録としてもいい写真がありますのでご紹介いたします。

ネガを見ていてこの写真を発見した時は感動しました。「へ~、オレこんな写真撮ってたんだぁ~!」・・でも私は撮影した記憶がなくて・・・。後々ネガをもう一度よくチェックしてみたら実はこれ当時いつも行動を共にしていた友人I君のネガであることがわかりました。I君のネガをすべて私が預かっているのですがこの写真の部分だけ私のネガブックに紛れていて私が勘違いしていたのです。
ですが181系の特長がよく解るし食堂車もしっかり写っています。これはぜひ公開したいとI君になんの断りもなしに載せちゃいました。
屋根上のラジエーターの特長がよくわかりますが実はこの設計が後々「しなの」を苦しめたようです。181系は優秀な気動車でしたが名古屋-長野間4時間弱というダイヤがきつかったことと西線、篠ノ井線に点在する単線トンネルの断面が小さくトンネル内での放熱がうまくできなくて故障が多かったといいます。実際にラジエーターに囲まれてクーラーがあるため冷房が効かなくなって途中駅から氷柱をを持ち込んでしのいだ(それでも暑かったでしょうね。)なんてことがありましたし、名古屋を出て途中から不調になり中津川までなんとかたどりついて中津川からD51に牽引されて走ったこともあります(当時は簡単に運転打ち切りにしなかったんですね)。このときは沿線にいたであろうD51を撮りに来ていたファンはびっくりだったでしょうね。(どなたか撮影された方はいらっしゃいませんか?)
さて友人I君のことを少し・・
彼とは幼なじみと言っていいくらい古い友人です。当ブログに以前記事にしましたが中学生のとき羽越線へいっしょに行った友人とはI君のことです。また初めて鉄道写真を撮影し中津川機関区へ連れて行ってもらったのも彼のお父様であり当然彼も一緒に始めた趣味です。その後九州へ撮影に行ったり非鉄でしたが東北へ二人で旅したりと青春時代を共に謳歌しました。
優秀だった彼は早稲田大学に進学その後一流企業に就職して現在に至っています。それゆえ故郷から離れて暮らしていますが仕事柄転勤が多くて最近は単身熊本にいるようです。最後に会ったのが15年くらい前でしょうか?今では一年に一度、年賀状で近況を知るのみとなっております。
私が彼のネガを預かっている理由は二人で撮影した木曽路のD51たちの写真を一冊のアルバムにまとめようという計画があったからです。もう30年以上前の話ですがお互い就職やら結婚やら・・なにより私の実行力のなさからこの計画は進まず今日に至っています。I君には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、せめてこのブログを見ていてくれたら幸いです。
D51とともに思い出尽きない181系「しなの」。いつかI君と思い出話に花を咲かせたいものです。その時は約束のアルバムを手にして・・・。
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