思い出のアルバムより・・・
2011/10/18 Tue. 15:07 | 思い出のアルバム |
後補機の活躍

むかしむかし・・・、早朝7時前に中津川を発車する下り貨物列車があった。この列車には木曽福島まで後補機が付いた。
いかに西線とはいえ当時(中津川-落合川間を除いて)機関車二両で運転される列車はそんなになかったため、なんとしてもこの列車は撮影したかった。しかし、いつものように朝一番の普通列車で木曽にむかっていてはとても間に合うわけもなくどうしたものかと考えた末、父にお願いして車で連れて行ってもらった。そして撮りたかった場所がここ!旧南木曽の鉄橋である。
列車が来たとき、はやる気持ちを抑え「まだまだ・・」と補機を待ち、そして補機が現れ、ちょうど鉄橋を渡るのを見て「良し!」とばかりシャッターを切った一枚。深い木曽の山間ゆえこの時間では陽が当たらず露出はかなり厳しかった記憶がある。絞り開放、シャッター速度は60分の1だったんじゃなかったかな?そのためちょっと甘い描写になってしまった。山々が紅葉に染まった38年前11月初旬の思い出である。ちなみに列車番号は869レ D51238〔中〕+後補機D51351〔木〕だった。
重連には華があったし重連が好きだった。なぜか中津川-木曽福島間は重連より後補機で運転される列車が多くて少し不満に思っていた。撮影しようにも、だいたい後補機がうまく入るように写せる場所なんて限られていたしそれを計算して撮影できるほど経験や技量もなかった。写真におさめるには難しかった後補機だが、しかし今思うと「蒸気機関車牽引の列車」としての迫力はぜったいに後押し補機にあった。両端に離れた二両の機関車の息の合わせ方も見どころだったし、なにより後ろからぐんぐん押して迫ってくるその姿は重連にはない補機としての存在感があったのだ。
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コメント
こんばんは。
重連かプッシュプルか何方がどうとかいう事はわかりませんが、
後補機のほうが運転は難しそうですね。
お宝画像、十分過ぎる迫力ですね。思わず声が出てしまいました。
また楽しみにしています。
私は蒸気は知らない世代なので羨ましい限りです。
でもそのうちに機関車を知らないとか言われるのかな??
seitoさま こんばんは。
私の想像ですが、後補機にするメリットは補機を解放してすぐ列車が発車できるという点ともうひとつ重連より後ろから押したほうが粘りがきいたのかもしれませんね。だから主要な峠では圧倒的に後補機で越えていました。肥薩線大畑ループ、関西線加太越え、旧北陸本線柳ケ瀬、杉津越え、磐越西線中山峠等々。
このあたりのことは当時の乗務員だった方から聞いてみたいものですね。
最近は運転上の便宜からプッシュプルで運転される列車を時々見受けますがそれとはまったく次元の違うものでした。駅での出発シーンなど迫力がありましたし汽笛で合図しながらの協調運転はかっこよかったです。
もうこの辺の話になると止まらなくなりそうで・・・(笑)。
次はD51重連の画像でもりあげましょうか?
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