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RAILWAY浪漫 ロクヨンcafe

鉄道写真がメインです。過去から最近撮影したものまで、気ままに 思いついたままに綴ってまいります。

我が家にニコンが来た日 

今月に入ってから撮影に行っていません。したがいましてネタ切れです。
・・・で再びカメラのお話しでもしましょうか・・・。



大好きなカメラ・・・ニコンF2のこと

大好きなニコン!

私には4つ離れた姉がいる。姉はいつも要領がよくて、両親にほしいものをねだるのにも長けていた。まあ、娘に甘いという世間一般的にみられる傾向が我が家にあったことも事実だったし、成績優秀な姉にたいして私はそのへんだらしなくて、いつも両親の期待を裏切ってきたから仕方なかった。

小学生のころ新しい5段変速の自転車がほしくて母に言うとお父さんに言いなさい、という。父に言うと話の途中でさえぎるようにあっさり却下.そんな私をみかねた姉が「お前ねえ、ほしいものがあったらまずぜったい買ってもらえそうにないくらい高価なものをねだる。たぶんダメっていうことになるから、じゃあこれは?ともっと安い本命をいうと、しょうがないなあ・・・となるんだよ!」とその極意?を教えてくれた。目標を宣言してそれに対してこれだけ頑張ったというのを見せるのも効果的といったようなことも言っていた。成績優秀な姉だから言えた戦略だった。

しかしそんな私にもがんばらなきゃならない試練が訪れた。そう、高校受験。ある日、合格の暁にはなんとかカメラを買ってもらおうと懇願してみた。父にはウチにもカメラくらいあってもいいじゃないかと説き買うなら一眼レフだ!と言いまくっていた。その都度父は合格してから言え!というのみ。ようしそれなら・・とそれなりにがんばってみた。幸い引っかかるように進学が決まり、いざ父に切り出すと「何がほしい?」ときた。私はこのとき姉の「極意」が脳裏をかすめ「ニコンF2!」とすかさず答えた。こんな高価なカメラは当然オトリである。私としてはニコマートFTnかキャノンFTb、この線は譲れなかったから姉の戦略からしてニコンのフラッグシップを迷わず宣言した。

そして・・・
忘れもしない多治見のとあるカメラ店へ父同伴で行った時のこと。「ニコンF2ありますか?」ときくと店主は顔色すら変えずにこちらにありますと指さした。ショーケースの上段にはアクリルケースに入ったF2がデーンといた。なんの予備知識もない父は身を乗り出しプライスカードを一瞥、「買えるか!こんなん!・・・」というだろうと様子をうかがうと・・「こんな高いカメラ・・・・」とか何かぶつぶつつぶやいている。そろそろ本命を切り出すころかなと思いきや父は意外なことを口走った。店主に「いくらになる?・・・」・・・えっ!値切ってんの!?えっ!買う気!?今風なら「親父!マジかよ!・・」である。

どうやら父は自分も写真を趣味にしたかったようだ。しかも話はそれにそれてミノルタオートコードって今あるか?とか私にはゼンザブロニカのほうがいいぞ!とか言ってきてわけわかんなくなっちゃった。店主も店主であのカメラはよかったですねぇ!とか言っちゃって二人で大いに盛り上がっている。なんとかかんとか紆余曲折の末どうにかニコン路線に修正できたがこんどはさらに広角28mmまで買おうとしているのを見てもう唖然とした。
値切る父に対して店主はあと1000円出してくださいという。それを聞いた私は思わず自分の財布から1000円札を出した。すると店主はあきらめ顔で、「息子さんからもらうわけにはいかない。お客さんには負けました・・」と言って父の言い値で売ってくれた。

私の父は当時、従業員を何人か雇って商いをしていた。それなりに羽振りが良かったことも事実だった。うん、たしかにいい時代だったから・・・。それにしても子供心にこんなん買っちゃってええの?と逆に心配してしまった。あとで父はお前のものじゃないぞ!みんなで使うんだからなと釘を刺した。




嬉しいかなニコンでD51を撮影することもできました。その画像を・・・


快速「木曽路」

懐かしの快速「木曽路」だあ~!
快速「木曽路」はもともとはキハ55で行楽シーズンになると運転されていた臨時列車でした。今でいう「さわやかウォーキング」みたいな存在だったでしょうか。昭和47年ころから鉄道100年のイベントで各地に蒸気機関車牽引の列車が設定されるようになりました。西線ではこの列車を客車化して名古屋-木曽福島間のうち非電化区間をD51が牽引したのです。当初は旧型客車で牽引機はD51200が充てられていましたが、D51200引退後は特に専用機は存在してなかったはずです。・・がしかし、いつごろからかD51101がほぼ「木曽路」の牽引機となっていました。「木曽路」ヘッドマークの下には「鉄道101年」の文字が見えますが(判るかな?)どうも単純に数字のごろ合わせからの抜擢だったようです?。

D51101は青いナンバープレートが誇らしく中津川区のカマであることがすぐわかります。実は101号機は羽越線電化で余剰になったD51で新津から転属してきた機関車です。末期の西線で活躍したD51の多くは新津や会津若松など東北、北日本からやってきたカマが多かったです。ヘッドライトの横にシールドビームの副灯をつけたカマがいっぱいいました。101号機もそのうちの一両(このカマは1灯)でしたが「木曽路」牽引機らしくナンバープレートを青くしてすっかり中津川スタイルに化粧直しされたあたりは中津川区の方たちのこだわりが感じられます。(ただこの101号機この後どんどん厚化粧されちょっとやりすぎ状態になってしまったのは残念でした。)

快速「木曽路」・・・実はD51200のころから何度も撮影しているのに満足な写真が撮れなくて毎度がっかりしていました。カメラをニコンに替えて心機一転やっとまともに撮れた一枚です。

                                          
今回はテキストが長くてすみません。いろいろ書きたいこといっぱいあって(笑)  ・・ニコンF2のこと次回さらにつづきを・・・。







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