初めての鉄道写真
2011/09/16 Fri. 22:14 | 西線D51 |
蒸気機関車が大好きだった。将来の夢は機関士になること!いろんな場所でいつもそう公言していた。でも・・どうやら大人になるころには蒸気機関車はいなくなるらしい・・・そんなことを知った時ひどく落胆したものだった。
そういえば中央線も名古屋-中津川間では蒸気機関車はいなくなっていたし身近なところで危機が迫っていることを感じた私は、中津川まで蒸気機関車の写真を撮りに行くことを考えた。
そんなある日私の心の奥底を見透かしたように友人のお父さんが「汽車を見に行こう」とさそってくれた。「渡りに船」この時とばかり私は生意気にも使ったことなど一度もない一眼レフを母の実家の祖父から借りてきた。汽車を撮るならこの手のカメラでなきゃいけないと勝手に決めていたのだ。撮影前日ピントの合わせ方を練習し、そして当日にはその日の天気からシャッター速度125分の1、絞りは8にセットしてもらい、ここ(絞り)は触るな!と言い聞かされた。
そんなふうにして撮影した思い出深い中津川機関区での一コマ。そしてこれが鉄道写真を意識して撮影した最初の日でもある。中学1年の秋のこと。
なつかしいなぁ・・・転車台に乗るD51851は煙室扉上部が弓型に切り詰められ写真ではわからないけど炭水車は戦時型のなごりをとどめたタイプだった。いわゆる準戦時型スタイルの典型的なカマだった。
それより今見るとクハ68(でしょうか?)を先頭にした70系電車のほうが貴重な記録かも・・・。
そういえば中央線も名古屋-中津川間では蒸気機関車はいなくなっていたし身近なところで危機が迫っていることを感じた私は、中津川まで蒸気機関車の写真を撮りに行くことを考えた。

そんなふうにして撮影した思い出深い中津川機関区での一コマ。そしてこれが鉄道写真を意識して撮影した最初の日でもある。中学1年の秋のこと。
なつかしいなぁ・・・転車台に乗るD51851は煙室扉上部が弓型に切り詰められ写真ではわからないけど炭水車は戦時型のなごりをとどめたタイプだった。いわゆる準戦時型スタイルの典型的なカマだった。
それより今見るとクハ68(でしょうか?)を先頭にした70系電車のほうが貴重な記録かも・・・。
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